昨日は午前中、教室時代レッスンに通ってくれていた生徒さんの絵を見に行きました!
(とてもステキな作品がたくさんありました)
夕方からは母校寝屋川高校楽友会のコンサート委員会でした!
(とてもステキな作品がたくさんありました)
夕方からは母校寝屋川高校楽友会のコンサート委員会でした!
もう2週間後です!!
司会者の同期と打ち合わせしたり
先輩方や後輩たちと話しているだけで
どんどんワクワクしてきます。
なんだかんだでやっぱり企画に携わるのは好きなんだな〜と感じています^_^
ここ数日、ブログ書いてない間に
自分にとっては色んな気づきがありました。
私はやっぱり自分が望んでいるように歌えなくて悩んでいる人たちに
望んでいるように歌えることを教えていきたいな〜と思いました。
どれだけ丁寧に自分が望んだこと、考えたことがそのまま声になるんだよ〜って伝えたとしても
プロとして活躍し
人から評価されてそれに心地良さを覚えられ
自分が望んでいることよりも
人に評価されることで満足出来るようになったとしたら
いつしかその人の頭は
聴く人に評価されているから良いとなるでしょう。
それは果たして自分の望んだ通りの歌なのか?っていうのが私にとっては疑問??
歌い手側のセンスが良ければ
感覚が鋭くないお客様を満足させることは
自分が望んだ通りを目指すよりは
もしかしたら容易なのかもしれないと思ったりもします笑
私の耳は例え話し声であっても
感情が抑えられた、遠慮して発した声は
突如聞こえなくなってしまうとかもあるぐらい
気持ちが乗ってない音が明確には聴こえません。
だからコーラス等の練習で後ほど録音を聴いて驚くことがよくあります。
あんなに小さく聴こえてたのに
実はこんなにボリューム出てたのね〜って笑
ボリューム的に大きい声と
心に届く気持ちの乗った声と
あなたはどちらが良いですか?笑
私はどこまでもやっぱり心に届く声なのです。
そこで声楽の世界において
縦社会ではなくして声楽を学んだら
身体の使い方を学ばなくても
自然に動く身体になるのではないのかな?と思ったりしています。笑
先日、パラリンピックの出場者で
目の不自由な方がインタビューに答えられているのがチラッと耳に入り…
目が見えないというだけで
恐怖でとにかく筋肉が萎縮するから
スポーツにはすごくマイナス…
というようなことをおっしゃってました。
だとしたら
縦社会の厳しい世界で声楽を学ぶことは
それだけですでに筋肉が萎縮していて
自然の機能の働きによる歌ではないのではないのかな?
もしそうなら一度そうではない環境で声楽を学んだらどうなるか?っていうのを見てみたいと思っています。笑
私が見てきたのはやはり厳しい縦社会だったし
それが当たり前だと思っていたから…
とりあえず、自分が見てみたいことは
自らそういう環境を生み出して試してみたいというのが私の性質で…笑
サークル活動始めたのもそんな思いからですが
まだ伝わり切らないところもあります。
私と同じく縦社会と感じて
クラシック音楽を学んで来た方は多いだろうし
それが一瞬で変わることなんてないのが当然とは思っています。
思考が変わらないと
筋肉の根本的な萎縮は取れないですし
それはパニック障害と15年以上向き合って克服した私だからわかることで
その筋肉萎縮に自分で一つ一つ気づき取り除いていくと
発声法に必要と思っていた身体の使い方が
実は萎縮に対抗するための筋肉の使い方だったというのがたくさんあります笑
そういうの声楽や発声で挫折した人に
ぜひ知ってほしいな〜って思っています。
筋肉の萎縮とか思い込みが強い人ほど
発声のルールはどんどん多くなり
しなければならないことがどんどん増えます。
そして音楽に向かわせられる気持ちがどんどん減ってしまいます。
それでは心には届かなくて当然ですよね?
そんな第一歩としての
「西洋音楽を歌うための基礎練習会」です。
これはメンタル的というよりは
日本人の多くの人に割と共通の思い込みみたいなものから皆さんを開放したいな〜と思っています。
9/23、10/5、共にまだ空きはありますので
何か歌うことに苦手意識がある方、違和感を感じておられる方は是非ともご参加ください。
司会者の同期と打ち合わせしたり
先輩方や後輩たちと話しているだけで
どんどんワクワクしてきます。
なんだかんだでやっぱり企画に携わるのは好きなんだな〜と感じています^_^
ここ数日、ブログ書いてない間に
自分にとっては色んな気づきがありました。
私はやっぱり自分が望んでいるように歌えなくて悩んでいる人たちに
望んでいるように歌えることを教えていきたいな〜と思いました。
どれだけ丁寧に自分が望んだこと、考えたことがそのまま声になるんだよ〜って伝えたとしても
プロとして活躍し
人から評価されてそれに心地良さを覚えられ
自分が望んでいることよりも
人に評価されることで満足出来るようになったとしたら
いつしかその人の頭は
聴く人に評価されているから良いとなるでしょう。
それは果たして自分の望んだ通りの歌なのか?っていうのが私にとっては疑問??
歌い手側のセンスが良ければ
感覚が鋭くないお客様を満足させることは
自分が望んだ通りを目指すよりは
もしかしたら容易なのかもしれないと思ったりもします笑
私の耳は例え話し声であっても
感情が抑えられた、遠慮して発した声は
突如聞こえなくなってしまうとかもあるぐらい
気持ちが乗ってない音が明確には聴こえません。
だからコーラス等の練習で後ほど録音を聴いて驚くことがよくあります。
あんなに小さく聴こえてたのに
実はこんなにボリューム出てたのね〜って笑
ボリューム的に大きい声と
心に届く気持ちの乗った声と
あなたはどちらが良いですか?笑
私はどこまでもやっぱり心に届く声なのです。
そこで声楽の世界において
縦社会ではなくして声楽を学んだら
身体の使い方を学ばなくても
自然に動く身体になるのではないのかな?と思ったりしています。笑
先日、パラリンピックの出場者で
目の不自由な方がインタビューに答えられているのがチラッと耳に入り…
目が見えないというだけで
恐怖でとにかく筋肉が萎縮するから
スポーツにはすごくマイナス…
というようなことをおっしゃってました。
だとしたら
縦社会の厳しい世界で声楽を学ぶことは
それだけですでに筋肉が萎縮していて
自然の機能の働きによる歌ではないのではないのかな?
もしそうなら一度そうではない環境で声楽を学んだらどうなるか?っていうのを見てみたいと思っています。笑
私が見てきたのはやはり厳しい縦社会だったし
それが当たり前だと思っていたから…
とりあえず、自分が見てみたいことは
自らそういう環境を生み出して試してみたいというのが私の性質で…笑
サークル活動始めたのもそんな思いからですが
まだ伝わり切らないところもあります。
私と同じく縦社会と感じて
クラシック音楽を学んで来た方は多いだろうし
それが一瞬で変わることなんてないのが当然とは思っています。
思考が変わらないと
筋肉の根本的な萎縮は取れないですし
それはパニック障害と15年以上向き合って克服した私だからわかることで
その筋肉萎縮に自分で一つ一つ気づき取り除いていくと
発声法に必要と思っていた身体の使い方が
実は萎縮に対抗するための筋肉の使い方だったというのがたくさんあります笑
そういうの声楽や発声で挫折した人に
ぜひ知ってほしいな〜って思っています。
筋肉の萎縮とか思い込みが強い人ほど
発声のルールはどんどん多くなり
しなければならないことがどんどん増えます。
そして音楽に向かわせられる気持ちがどんどん減ってしまいます。
それでは心には届かなくて当然ですよね?
そんな第一歩としての
「西洋音楽を歌うための基礎練習会」です。
これはメンタル的というよりは
日本人の多くの人に割と共通の思い込みみたいなものから皆さんを開放したいな〜と思っています。
9/23、10/5、共にまだ空きはありますので
何か歌うことに苦手意識がある方、違和感を感じておられる方は是非ともご参加ください。
お申し込みはこちらからも可能です。
https://tiget.net/events/341962/submit_password?cd=107f97t110s97j107q97o110s97q122r101g109w105o49c50c51r49i
https://tiget.net/events/341962/submit_password?cd=107f97t110s97j107q97o110s97q122r101g109w105o49c50c51r49i
お申し込みは
件名に「練習会参加申込」と、メッセージ欄にお名前、
ご連絡先、受講希望回をご記入の上お送りください
学生さんはご年齢もお知らせください