声楽を学ぶっていうこと

12/1はお琴とピアノのデュオのエクレッティコさんのクリスマスコンサートに賛助出演させていただきました!!

とても楽しくて
お琴の演奏を生で間近で聴けるのも
とても嬉しい事です😃

来年もよろしくお願いしますって言っていただけたので来年も共演させていただけるかもです✨



やっと私は迷路から脱出!!

教室を始めたのはかれこれ15年前
スタジオを構えたのがかれこれ13年前
教室を閉めて半年ちょっと

私が声楽のレッスンを受け始めたのは約30年前
私が声楽のレッスンを受けるのをやめてから約7年

先生方から教わったことは大切なこともたくさんありましたが
私の音楽に対する価値観、歌うっていうことについての価値観や目標をどんどん見失った十数年でもありました。

元々の価値観がすごく正しかったとも思いませんが
基準を満たすために発声法を身につけたり
通用するために歌を練習したりというのは
私がやりたかったこととは随分とズレていたと思います。

そもそも歌うことで生計を立てるということは考えていなかったから
教育大という道を選んだし
だから今も教えることを仕事として生き
歌うことは完全に趣味としてどこまでも技術や表現力を磨こうとがんばっています。

それは誰かが定めた基準に達することで
私は満足感は得られないから
どこまでも歌えるようになりたいし
まだまだ上手くなれるはずと思って
私は今も練習しています。

それが誰かにオッケーと言われなくても
自分で判断できる感覚や感性も身につけようと
そっちも同時進行で磨いていこうとしています。

こんな風に私が特別かのように書いていますが
実際のところは声楽を学ぶ人は
自分で判断できる感覚も感性を身につけるのが普通だと思うんです。

歌ってる最中というよりは
歌う前からすでにこんな感じになることが想定できていないと
自分が表現したいように表現はできないと思うんです。

それは自分の経験
自分が日々感じている
事実として

私は感覚がとても敏感だから
他の人が感じないことも感じていると思うので
何十年歌っていても私のように細かく敏感に感じない人もいるかもしれないですが

それでもその人なりに
どの声が響き
どの声が響かない
どうすれば話しているように聴こえ
どうすれば自然に流れるか
などを
理解してないと
一人で人前で思っているように歌えなくて当然だと思うんです。

それも自分が経験し、感じてきた事実として

それが習っている間は
自分なりにどれが良いかという判断をする間がなく
基準に達することばかり考えて取り組んでいました。

その基準というのも漠然としたものでしかなく
今の私が当たり前と感じていることすら
当時の私は全く気づきもしていませんでした。

目標が漠然とし過ぎていて
どんどん困惑していき

そんな困惑の中
教えることをスタートして
性格上、明確に理由を突き止める性質は当時から持ち合わせはしていたので
困惑の中ではあっても
当時からこれは間違いないと確証が持てることもあり
それを伝えることだけでも生徒さんたちに変化を与えることができていたので
教室を長い間続けることが出来ていました。

ただスタジオを借りてレッスンをしていたので
生徒数がある程度いないと成り立たないということもあり
自分の教えられる範囲をどんどん広げて
訳がわからなくなってしまったところあると思います。

そんな迷路に入り込んで
その迷路からやっと脱出できたという感じです。

声楽を学ぶのはやはり自分自身でしかなく
先生の基準を満たすものではないということ。

自分が納得いった時点で終了で
納得いかないならどこまでも自分で努力を続けるしかないということ。

先生のアドバイスはアドバイスでしかなく
そのアドバイスが自分に適していると判断するのは自分自身でしかなく
適していると思うならば
当然のようにどの曲に対しても自ら進んで取り組めるようになること。

私はここ最近お伝えすることは
ずっと同じことしかなく
それはそれさえできれば余程のことでない限り
自分自身でできることと確信を持っているからです。

でも、やはりそういう風に理解して
曲に取り組める方はとても少なくて
それは私の教え方がおそらくまずかったんだろうと思います。

それがここ最近、練習会と称して
やっている講習会で

でも、それがとても重要なことと感じてくれている人は
元生徒さんの中でも結構少なくて
これが現実か…って
思い知らされることが多かったです。

でも、おそらくそれも自分で取り組むことっていう風に取られていない人が
声楽を学んでおられる方には多くおられるような気がします。

もう一度書きますが
自分の感覚と感性で
歌う前からある程度イメージ出来てないと
自分の思っているイメージで歌うことはできるようにはならないと思います。

そして、声楽を学ぶっていうことにおいて
相手がいない状況で歌うっていう想定で学ぶこともやはりおかしいことだったと思います。

人に伝わらなくても良いという状況で声を出すこと自体
動物としての声というものを理解できていないということになるのではないかな?と思います。

ましてやそこを目指してないのに
伝わるための発声法や感覚や感性を磨こうとなぜ思えるのでしょうか?

そこを目指してなくて
そう思うとすれば
それは人に褒められたい欲だったり
承認欲求だったりするのかな?と私は思います。

私は音楽を音楽として人に伝えたいという基本が誰しもあるものと思って指導を続けてきましたし
またそこを誰もが目指して教えてくださっているものと思って習ってきました。

でもそれ自身が人によって全然バラバラで…

それに気づいたことでやっとこさ
私は迷路から脱出!!


これは単なる私の価値観でしかないかもしれないですが
これ以外で本当に自然に歌える力がつくようになる方法が今のところ見つかってないのも事実です。

本当にそこを理解した上で私がお教えしてきたことに取り組んでいただけたなら
私がお教えしていることが
いかに一生物の内容かというのは理解いただけるのではないかな?と思います。

練習会と称して学ぶ場を今後も設けていきたいと思っています。
その場で私が教えてきたことの確かめをして
本来の意味を理解してくださる方が少しでも増えたら嬉しいと思います。

(もちろん初めて受けられる方にも間違いなくプラスになるとは思います。)

私はいつも自分で出来るようになってもらうための指導を目指してきました。
自分で出来るようになりたいという思いがすでにない方の方が多いというのも何となくわかってきましたが(できる力があっても諦めている人が多い)
自分で出来るという、自分で自分を信じることが出来ない限りは永遠に思いのこもった歌を歌うことは難しいと思います。

そこを理解して確実に力をつけて欲しいという私の思いを
本当に理解して取り組んでくださってる方も少ないですがおられるので
もう少しで良いから、そこに気づいて取り組んでくれる人が増えて欲しいです。

私の言葉をきついと感じる方も多っかったみたいですが
自分で出来るようになりたいと思っている人には
おそらくちっとも厳しい言葉ではないと思います。

それぐらい自分で出来るようになるには
自分で繰り返し繰り返し取り組んで
自分の感覚と感性を磨き
時には自分の鈍さに怒りを覚えるような経験も結構な頻度で起こるかもしれないですね。

そんな経験をして苛立っても意味がないということに気づき
今の私のメンタルになれたと思います。

自分ほど自分の思い通りにならない人はいないかもしれません。

そこに気づいていたら
生きたくなくなる人もいるかな?

私はそうではなくて
だからこそどこまでも自分の思い通りに生きられる人間になろうと自分と向き合い苦手を克服してきました。

ま、私はそんな人間なので…💦💦

練習会、ご興味あればぜひ😊